3.11
東日本大震災から10年
早いものです、当時私は名古屋で研修医でした。
確か震災発生時、病院の高層階で会議に出席していました。
足元が突然揺らぎ、バランスを崩しそうになる状態が数秒(十秒くらいあったかもしれません)続き会議場が一時騒然としたのをはっきりと覚えています。
揺れがおさまり、研修医室に戻ると、テレビに映っていたのはおびただしい数の車が津波に飲み込まれる光景でした。
愕然としました。
阪神大震災の時は当時小学5年、アメリカのテロの時もそうでしたがいつ災害はやってくるか分かりません。
ちょうど赤十字で勤めていたこともあり、震災の後、すぐに災害救援メンバーとして石巻赤十字に医療支援に向かったこと、当時上の子が妻のお腹にいる状態で不安を抱えながら向かったこと、もしもの事を想定して現地ではほとんど気が張り詰めていたこと、現地で見たとんでもない角度に折れ曲がった信号機、町のど真ん中に倒れていた巨大な船、、
これらは一生忘れないし、むしろ忘れてしまってはいけないと思いました。子供達にも伝えられる範囲で伝えていきたいです。
無慈悲にも未来を突然奪われる形になった子供達もいるし、家族と離れ離れになった方達もたくさんいらっしゃいます。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。
自分にとって大切な人と何気なく過ごせている事こそが一番の幸せだと感じます。
こうやって残酷にも毎年やってくる3.11という数字に改めて当時のことを振り返りながら記しました。
本日は以上です。